30日の禅語
野狐精 やこぜい
この化けギツネめ と罵る。  が 表ではけなしまくってなじって 裏ではそのものの存在を褒めちぎる。
師匠が弟子を教育するときによく使う手である。 人間ほめると 頭にのぼせてしまうのを防ぐためである。私の弟子もしかりで 本人をほめたりしないが、他の人には弟子を高く評価している。

29日の禅語
野狐禅 やこぜん
悟ってもいないのに、悟ったかのように振る舞って 他のものを欺くもの也、似非禅者を罵って言う語である。
私も そうかもしれないが、近頃 この類の坊さんが いっぱいいるようである。


28日の禅語
無寒暑 むかんしょ
寒いときは寒いに徹し、暑いときは暑いに徹する 寒暑を超越することが肝要である。そのものに成りきることそのものに対しての観念をなくしてしまうのである。簡単に言えば 集中する。

27日禅語
蚌蛤禅 ぼうこうぜん
蛤がはらわた丸出しでいるような 禅である。何も隠すことなく 全てをさらけ出して行うこれが 最もすばらしいことである。まるで 私の生きかた そのものの様である。

26日の禅語
驢年  ろねん
驢馬歳は12支にはなく、いつまでたっても 来ることのない歳である。
あてにならないことを言う。あなたの近くに そんな人いるでしょう。

25日の禅語
無賓主 むひんしゅ
主は主に徹して、客は客に徹することにより主客の対立を超越する境地のことである。
自分の立場 相手の立場を瞬時に確立して相手と自分が一体にとなり 相手が自分であり自分が相手である。少々哲学の域に入る。

24日の禅語
飯袋子 はんたいす
無駄飯ばかり食って役立たず者。
こういう類の者が、あなたの近くにいませんか。もしかしたら、自分の事かも知れないよ。

23日の禅語
愼獨 しんどく
一人を慎む。 一人なるときも、心を正しく保ち良心に恥じない態度で努める。人前では かっこよくしてても一人になると または家族の前では、だらしなくなる人がいるが それではいけない。人がいようがいないでも 変わることなく正しい姿勢でいることが大切。これも 簡単で非常に

22日の禅語
放下着 ほうげじゃく

いらんものは捨ててしまえの意で、下着を脱げではない。間違えないように。人間生きているうちにいらない鉄錆の様なものが沢山ついてくる。しかし、気をつけなければならないことは、表面についているうちは 磨けば少々削れても光をはなつが、ほおって置くと芯迄 さびたら 手の着けようがない。そうならないよう 日頃から 己はピカピカに磨いておこう。