5/20の禅語
鰕跳不出斗  か おどれども と をいでず
所詮 小エビはいくら跳ねても 升からは出ることが出来ない。力量の無いものはいくら騒いでも何も出来はしない。悟ろうとしても悟りの枠から出ていくことが出来ない。

5/19の禅語
一無位眞人  いちむいのしんにん
どのような位置にもなく、絶対の自由人。真実の自己、本来の面目、本具の仏性を悟れる人のことである。

5/18の禅語
按牛頭喫草  牛頭をあんじて草を喫せしむ
頭を押さえて無理に草を食べさせる。
これは、いやがるものを あまりに老婆心からやらせることである。今の教育ママの様なものである。そのうち 爆発してバスジャックとかしてしまうのである。ご用心ご用心

5/17の禅語
唖子喫苦瓜  あす くか を きっす
唖の人は 苦瓜が苦いことを知っていても人には云えない。仏法の妙理も同じ事で説くに説かれぬものである。
知った顔して言っているものにかぎって 心理を知らずに 知ったかぶりが多いようだ。

5/16の禅語
非心非佛  ひしんひぶつ
即心即佛の逆説的言い表し方。仏とは一体なんですかと言う問いに 非心非佛・即心即佛と答えたという 昔の偉い坊さんの話であるが、禅を極めないと ここに記載してもなかなかわからないであろう。無の根元を理解していないと答えがでてこない、無と言ってしまえばそこには無があることになるし だからと言って 有ではない。わかりたかったら 安国寺まで 座禅をしに来ることである。3年も座れば見えて来るであろう。

5/15の禅語
倒転槍頭  そうとうをとうてんす
槍先を向けかえし、敵の槍で敵を突く。人生では色々と遭遇するものですが、こんなやり方もあるのです。やられたらやり返すのではないのです。たとえば、おまえはどこからきたか と 問われれば 間髪を入れず おまえはどこから来たかとや問い返す。どういうときに使うかは、君はお母さんとお父さんとどっちが好きですか などと聞かれれば どっちも大事な人だから答えようがないわけで、相手が馬鹿な事をしたときに 教える意味でもある。しかし、馬鹿な奴にやっても馬鹿にされるだけでしょう。禅ではこれが大変に生きてきます。

5/14の禅語
停囚長智  囚にとどまって智を長ず
獄舎にいると 却って悪知恵を増長させてしまう。

5/13の禅語
知過必改  あやまちをしって必ず改める
修養するときの一番大事な事である。反省なくして進歩はあり得ない。

5/12の禅語
敲骨打髄  ほねをたたきずいをうつ
徹底的に打ちのめす。教育とは手を抜いてはならない、骨の髄まで徹底的に教育するのだ。要するに する側も大事でされる方も大事である。しかし、親切をもっての徹底である。

5/11の禅語
知恩者少  おんをしるものはすくなし
恩に反く者は多いが、恩に報いる者が少ない。犬でも一回餌をもらうと3日は忘れず、1年餌をもらうと一生忘れることはないのに、犬以下の人間が多いのはなぜであろうか。